ジェフ:今日の話題は、山羊座のアーキタイプに関するダークエロスとカオスの性質だ。我々が山羊座について考える際、カオスとダークエロスの観点から考えることはあまりないだろう(会場、笑う)。だが、このアーキタイプを理解する上で、それは極めて重要な部分だ。この講演を通して、このカオスとダークエロスが、それ独自の形式で、現代文化のあらゆる心理的障害や歪みに特有な要因となっていることが分かるだろう。
まずは広い視点から山羊座を探索し、次に深く掘り下げ詳細を見よう。そうすれば、このダークエロスとカオスと呼ばれる問題がどこで発生するのか、真に理解できるようになるはずだ。
山羊座をできる限り広い視野、つまり創造そのものの視点から見るには、次のことをまず念頭に置く必要がある。創造の本質は、最初は単にエネルギーであり、そのエネルギーは、ある種の中心から出てきたということだ。ある種のエネルギーを外向きに投影すると、正と負の二つの電荷が働き、今度はそれが、双対性、二元性と因果関係という自然の法則を発動させる。
このエネルギーの投影を経て、重力と呼ばれる第三の自然の法則が作られる。重力は山羊座のアーキタイプに特化したものだ。そして、重力をエネルギーに適用すると、エネルギーはある特殊な形に凝縮される。これが山羊座の真の役割だ。そして今度はこの地球という時空間の現実に特化した観点から、本来備わっている自然の法則を見ることになる。この法則は、意識の現象も含む、具現化された自然現象を創造する役割を担う。
そして、意識というもの自体は水にとてもよく似ている。水自体に形はない。だがコップに水を入れると、その形の機能を帯びる。現象や自然現象といった言葉は見た目の世界を単に意味する。意識が人間の形で出現するとき、それはその形の機能のみを帯びる。そのため現象的な現実の視点から推論すると、人間の形をした意識が、その現象的な現実の性質を認知するには、感覚を媒介するしか方法はない。人間の形をした性質の全ては、感覚で感知することに関する。そして、感覚と意識の相互作用が思考を生み出す。
意識を二つの異なる観点から見てみよう。まず自然の構造の観点からだ。人間の意識における自然の構造だ。そして次に、それを社会的に条件付けられた意識の観点で見ていこう。それは土星のアーキタイプと関連する。この区別は非常に大事だ。なぜなら、集団がある程度の安心を得るには、共存し共に働くための「社会的契約」が作られる必要があるからだ。社会的規範とも呼ばれる。習慣、タブー、法律、規則といったものだ。それら社会的な規則に従わないと、文字通り、天王星的な現実となるだろう。すなわち無秩序(土星による規範を超越した現実)だ。
この中に、無秩序な社会で暮らしてみたいと思う人はどのくらいいるだろうか?大半はその経験を楽しまないだろう。人間は本質的に社会的な生き物だから、どう共存していくかに関する社会的契約や実際においての規約を作らねばならない。無秩序な社会で暮らすことは不可欠だ。
だが進化と共に、人類の歴史において紀元前6500年頃、母権制社会、もしくは現在母権制社会と呼ばれているようなものから父権制社会へと移行が始まった。この「母権制社会」という言葉はいろいろな意味で、この地球上で人間が長きに渡ってどのように生きてきたかを言い換えたものだ。これが何を意味するのかというと、人類は、自然の法則と原理により定義付けられるということだ。自然の原則はそれ自体で明確であり、また人類の有無にかかわらず存在する。我々はまさにそうやって歴史を生きてきた。
そして、紀元前6500年頃には、父権制社会への移行が始まった。驚くべきことだが、それを占星学的に見ると、その移行は、なんと山羊座サブエイジである蟹座の時代(注釈1)に起きている。性別転移という観点から見てほしい。山羊座と蟹座は、性的役割の文化的な定義という点で大いに関連性がある。したがって、この時代に典型的な移行が反映されていることが分かる。この父権制社会の移行期間に徐々に何が起きたかというと、信念と呼ばれるあらゆる種の投影的思考が作られたのだ。その目的は、自然現象の創造の本質に関する特定の考えや概念を強めることだ。
ここでの要点は、人間という生物の定義付けが段階的に自然の法則から離れていったということだ。それによって、直接的な知覚や経験から遠いところで、人類はあらゆる自然現象を理解するに至った。直接的な経験は信念に取って変わられた。例えば、自然の性的法則というものがある。それは、父権制社会の観点から見て、現在「正しい」セクシュアリティと見なされているものとは大きく異なる。今日はこれについて詳しく見ていこう。
質問:この中で何人が、ある程度の霊的、つまり霊性の高いスピリチュアルな人生を送ろうとしたことがあるだろうか?瞑想やヨガなどの活動、また指導者みたいな人に指南を仰いだことがあるだろうか?
では、これはどうだろう。例えば、紀元前7000年まで神と呼ばれるものの考えすらなかったという事実を、この中で何人が知っているだろうか?概念すらなかったのだ。大体その頃までは、神は、我々がガイアと呼ぶものと見なされていた。地球だ。
紀元前7000年ごろ、人間の意識に、現在我々が神と呼ぶもののまさに最初の概念が生まれた。父権制社会の観点から十分驚くべきことに、この最初の神の概念は女性だった。神の歴史上の起源となる名前は「ナム」、これは女性だった。 その宇宙論においてさえ、神の捉え方は現在と大きく異なっていた。この父権制社会の現実において、男性が父権制社会の神を作り始めたとき、神は完全であるという概念で始めた。完全だ。ここで、ちょっと簡単な魚座の(霊的なことに関する)質問を一つしよう。どうやったら、完全なものが不完全なものを生み出せるのか?不可能だ。この「完全な」神の概念の中に、全ての「霊的であるべき」ものは作られた。ある「べき」ものだ。この理由から、今まで誰も父権制社会の霊的人生において成功していないのだ。なぜなら、これら名高い父権制社会においては、霊的である「べき」ものは全て、自然の法則に反し、あってはならないことになってしまうからだ(会場、笑う)。
さらに言えば、父権制社会の見方には、神を知るためには感覚を抑圧せねばならないという、馬鹿げた考えが含まれていた。最初に戻ろう。人間の形に意識を吹き込むと、意識は、人間の形の機能を帯びる。つまり、人間の形をした意識は、(その時代では父権制社会に暮らしていた)人間の感覚を通してのみ自然現象の現実の本質を知ることができる。したがって、この存在しない完全な神を知るには、我々は感覚を抑制せねばならないということになってしまったのだ!私が何を言わんとしているか、これが、どれほど捻れたことか分かるだろうか?
そして、超越という素晴らしい言葉が作られた。この言葉は、実際は、もう一つの誤った父権制社会の教義である「精神と肉体間の矛盾」から生まれた。つまり、セックスは、一つには、感覚を通して感じることができる他の全てに加えて、霊的人生と対立もしくは矛盾しているということだ。それゆえ、この父権制社会の霊的人生を生きようと努力する者は皆、内部になぜこのような卑劣かつ罪深い気持ちが生まれるのか理解し始めるだろう。だから、瞑想中に勃起したり、少し性的に興奮したりすると、おっと(一同、笑う)これは教義にそぐわないということになる。
ということで、自分の内部に起こる罪悪感を想像してみてほしい。「私に何か問題があるに違いない」と。また余談だが、なぜこんなにも多くの修道士がタバコを吸っているのだろう。どうしてだろうか? それは、山羊座のアーキタイプにおいて彼らは自然の法則を抑制しているからだ。そして、抑圧の心理的行為は、心理的及び感情的な圧迫感と厳しさを生み出す。そのため多くの場合、修道士でさえ、この内部に蓄積された圧迫感、抑圧感と緊張のせいでタバコを吸うようになる。
私は何年もの間様々な修道院で修道士として暮らしていたから、これがよく分かる。タバコのように良くないとされるあらゆることは、自然なものを抑圧することに起因する。山羊座とダークエロスの関係性において、このことは物事の核心を突く。自然の性的法則に対して、現代人が何をしたかという問いに結びつくからだ。セクシュアリティの歴史は、我々がどのようにセクシュアリティを捻じ曲げてきたかという観点から考えると、あなたがたを驚かせることになるだろう。だからまず、精神と肉体との間に本質的な矛盾がないことを認めよう。皆無だ。
精神と肉体の間に矛盾がないことに同意し、さらに神が「全ての起源」であるという父権制社会的な考えにさえも同意するなら、セクシュアリティの起源はどこにあるのか? それと同時に、不完全性の起源はどこにあるのか? 怒りの起源はどこにあるのか?あなたの全ては、神であり、そしてそれを超越するものなのだ。このように考えてみてほしい。あなたがあなたを創ったのではない。神があなたを創造した。さすれば、真の論点、我々が神と呼ぶこの存在は何なのか?
我々が自然の性的法則と呼んでいるものにはいくつかの基準がある。例えば、人類の歴史の大部分を少し覗き見すると、母権制社会の現実においては、核家族や、一夫一婦制と現在呼ばれているものは何もなかった。子供たちは共同生活で育てられた。個人的な所有物を持つことは許されたが、それだけだった。土地は共同だった。そして紀元前6500年ぐらいまでは、男性も女性も、性行為によって男性も女性と同じくらい子作りに貢献するということを知らなかった。衝撃的に聞こえるかもしれないが、実際、史実だ。
その結果、女性の妊娠は、神と呼んでいるものによる直接の表現であると考えられた。セクシュアリティはそれ自体で当然、神聖であると考えられていた。
また、世俗的な観点から見て、女性性が男性性の起源であると理解する必要がある。父権制社会の人々はその逆だと思わせようとしているが、それは違うのだ。性器の性質を考慮すればすぐ分かる。この原始の真実を理解するだろう。実際、約20年前(1985年)にイギリスで男性科学者たちによって書かれた『余分な男性』(原題では『The Redundant Male』)という興味深い本があった。彼らが科学者であることを念頭に置いてほしいのだが、この本が仮定し証明したことは、女性には、男性なしで生殖する能力が実際に備わっているというものだった。タツノオトシゴのように(注釈2)、また神が創造した他の生態系のように。
生徒:どうやってですか?
ジェフ:彼らは一度に雄でもあり雌でもある。これは雌雄同体の現象をどう理解するかとも関係する。だが我々が地球上の生物であるという事実を考え合わせれば、雄の形状は雌の形状より筋肉の段階で明らかに少し強めであり、それにより女性性の仕組みは、雄が実際に必要だとそれ自体で「気付いた」のだ。だが、これに関するさらに深い理由は免疫系の性質による。もし、無性生殖が標準となるなら、免疫系は、種を様々な疫病から守る目的で進化することができなくなる。そのため、雄と雌による生殖により、免疫系自体の進化を可能にした。その目的は、種そのものの生存という現在進行形の問題に対処することだ。この実現のために雌は雄を創造する必要があった。雄の形状を生み出したのは機能としての生存の必要性だった。
そして紀元前6500年頃、父権制社会が取って変わり始めた。どうしてだろうか? ちょうどその頃、子作りにおいて男性が同等の役割を担っていることに男性と女性が気付いたのだ。これが実際の歴史的きっかけとなり、父権制社会への移行が始まった。そして、誰も真に説明できないだろうが、これが男性に奇妙で歪んだ力の感覚を生み出したのだ。
男性がその時代において力を増やすためには、所有物、主に土地を後世に引き継ぐことができなければならなかった。歴史的に見て、これが、核家族及び現在我々が「父権」と呼んでいるものの原因因子となった。つまり男性は、自分がどの子供の父親であるか知るには自分がどの女性と一緒だったか、そして他の男性はその子の親ではないと分かる必要があったのだ。それが父権の歴史的要因であり、我々が今日、一夫一婦制と呼ぶものの歴史的な始まりだ。
これはいつ頃の話かというと、自然の性的法則を含む全ての自然が徐々に抑制されていった時代のことだ。またセクシュアリティを含む自然といわれるものが何であれ、いったん抑圧されるとそれは歪みや怒りの基礎になる。
誰にとっても性的な直感は原始脳と呼ばれるものから生まれることを理解しよう。
占星術では、脳のこの部分は月、冥王星、火星と直接関係している。原始脳はまた、意識が発生する場所でもある。大脳皮質ではない。そして、原始脳はそれ自体、何の条件付けもせず、自然の法則によって定義される。完全に本能的だ。原始脳内に概念化はない。そして、それはあなたの体のあらゆるの本能的機能を統制する:呼吸、排泄、性欲などだ。 だが歴史を通して、我々が、自然の意識を社会的条件や社会的契約及び信念体系といったものにさらし、父権制社会に向けてゆっくりと変動すると、自然なもの全てはゆっくりと抑圧される。この歪みが怒りの元になる。
他の自然の法則を見てみよう、この部屋にいる女性たちが内面的に本当に正直なら、今ここで共有される真実に気付くだろう。
全ての女性には、自然の法則下において、二つの同等な性的アーキタイプがある。その一つの欲求のアーキタイプは、主要なパートナーである男性と一緒にいることだ。その男性は、彼女が日常を一緒に過ごしたいと思うようなタイプだ。だが女性には、様々な男性と一緒にいたいという必要性と欲求が同等に、かつ強くある。これには二つの理由がある。これを疑うなら、進化生物学者に会いに行ってほしい。それを証明してくれるだろう。
一つ目の理由は、厳密に生存目的だ。人類の生命への最大の危険は、ウイルス、細菌、寄生虫、真菌の世界であり、これらは人類よりはるかに速く変異する。それにより、人体が無性生殖に対抗し、種を繁殖させる方法として性交を指向したのだ。
なぜか? なぜなら、無性生殖では、免疫系が停滞するということが基本にあるからだ。もう一方で、性交により、他の二つの合成である第三の実体が生み出され、ひとまとめで言うならば、それにより、進化する免疫系が作成されるからだ。これが、性交が取り入れられた理由だ。
精子が強いほど、卵子を受精させやすくなり種が強化される。ここでの免疫系への関連が分かるだろうか? その理由は、生物学的なものだ。
その他の理由、つまり二つ目の、より多くの経験をしたいという女性の性的欲求に対する理由は、形而上学的なものだ。ここで鍵となるのは、性液を含む地球上の全ての液体が記憶を含んでいるということだ。覚えておいてほしいのだが、我々は皆、進化とカルマの個人的背景を性液に入れて運んでいる。実際これは私が思うに、性的表現や行動において判断と識別を下すための大きな論点である。この論点は、不自然な道徳に基づくのでなく、意識において我々は何が起きてほしいと望むのかに基づいている。
なぜなら我々は冥王星を、つまり恋人の性液を浸透させるので、それゆえ、相手の過去と現在における全ての現実を自分自身に取り入れるのだ。もちろん逆も然り。恋人は我々の全てを吸収するのだ。
それではなぜ、形而上学的な観点から、女性は自分自身を多様な精子にさらしたいと思うのだろうか? それが、また多様な人間の知識に自分の身をさらすことを意味するからだろう。
そして、これを自分自身に取り入れることで、女性は本質的に、また生理的に言えば、取り入れた性液を錬金術のように変化させ自分のものと混合させる。それにより、次の男性と寝る際、性行為を通じて最初の男性の知識を二番目の男性に伝授できるからだ。こうやって人間は知識と理解において進化してきた。 黒板や本、教師などとは何の関係もなかった。そして楽しんだ! (会場、笑う)
自然に構造化された意識とは、共有し、与え、参画するという原則によって定義される意識だ。父権制社会の現実に移行してからは、自己利益と排他性により定義される意識が出てきた。これら二つの核となる違いが分かるだろうか?これらは絶対的に重要だ。父権制社会で作られた集合的な性的心理学に見られるのは、所有、嫉妬、脅されたという感情であり、これらの心理は、自己利益のために相手の成長を制限しようとする。この全ては自己利益と排他性に基づいている。自然な生き方では、この心理学は単に存在しない。そのような意識は発生しない。私の話の要点がお分かりだろうか? 共有し、与え、参画するという文脈において、そういう心理は発生しないのだ。
自然な性的法則にもあらゆる種類がある。その最も高次な法則には、自分の魂を別の魂と融合させるという性欲の本質的な神聖さが含まれ、その相互の融合を通して、我々は内なる神性と繋がるのだ。これを男性は「タントラ」と呼ぶ。(注釈3)ちなみに、以下の見出しがもたらすものは完全に誤りだ。書店でこれらの「タントラ」の本を見た人は、「射精を抑制するのは男性の義務である」 というような内容を読んだことがあるだろう。そして、格好良い神話、例えば硝化して中和して、となどと意味不明な言葉が並んでいるのだ(会場、笑う)。
確かに、男性はオーガズムを抑えることができるが、実際に起こるのは、精子が膀胱を通り抜けて尿管から出ていくだけだ。それは事実だ。 医者に聞いてみてほしい。
男性がこの教義を紀元前5500年頃に作った理由は、女性を模倣するためだった。男性から見ると、女性には「無制限の性的反応」能力があるように見えるのだ。さて、男性がセックスをするとき、何をする? 幸せの小さなオーガズムを得たら、寝返りをうって寝てしまうのだ(会場、笑う)。
その間、女性は「はぁ?」となる(一同、笑う)。女性陣にはお馴染みのパターンだね。
ここでの要点は、男性は女性の仕組みに脅かされていると感じていたことであり、脅されたと感じた結果、女性を模倣するために「タントラ」と呼びたいものを作り上げたのだ。 オーガズムの抑圧との関連性が分かるだろうか?
したがって、これらにおける占星学的な要点だが、山羊座は、父権制社会により徐々に誤って定義され、歪曲されてきたアーキタイプとして、抑圧のアーキタイプになるということだ。 何を抑圧するのか?ありとあらゆる自然なことだ。さらに、抑圧という言葉の性質を理解したら、その延長に「制御」という言葉が含まれるとはっきり分かるだろう。我々は脅威にさらされると、それを抑圧し、制御しようとするだろう? そして、あなた方が、巷のおめでたい占星術の本に頼るなら、これが、山羊座について書かれていることだ。彼らは「仕切り屋」(制御する人)であると。だよね?
ということでここに、進化の観点から見た問題の核心がある。我々は皆、今世や過去世で父権制社会の時代を生きてきたなか、次第に条件付けされてきた。それが父権制社会の現実における土星/山羊座の機能的な性質:意識の条件付けだ。人々が集団で一緒に暮らすと、社会契約や法律などを作る必要に駆られると以前話したのを覚えているだろうか? これが社会的な適合のまさに基本となる。「現実」という言葉の基礎でもある。つまり、社会契約や社会的な信用体系などについて同意する人々が十分にいると、同意が得られたあらゆることが「現実」と呼ばれ始めるのだ。それは単に真実だと思い込まれているだけであり、実際の感覚的な経験は考慮されない。
仮定するという行為は、占星術では、山羊座によって象徴される。したがって、どの国にも現実と呼ばれる集団の神話がある。だが真の問いは、この集団の神話は、次のどちらに当たるのかということだ。自然の法則下における実際の現実だろうか、それとも、作り上げられた現実、社会契約を通して作り上げられた現実なのだろうか。この、二つ目の種類の「現実」には、社会法則、規制、規範、そして合意され正しく真実であると見なされるタブーなどが含まれる。個人や魂そして人間は、実際、本質的に社会的な生き物であるという事実に基づき、各々が集団内で安心できるようにするために、その集団が「現実」と呼ぶと決めたものに従う必要があるのだ。そして、それが「道徳」の基礎となる。繰り返しになるが、抑圧または抑制された自然なものは全て、歪みと怒りの基盤になることを覚えておいてほしい。
考えてみてほしい、あなたはここで、女性や子供に対する心理的、性的、感情的な虐待の原因因子が分かってきたところだろう。 サドマゾヒズムの原因因子を理解することができる。誰かを性的に傷つけ、もしくはレイプしたいと思う気持ち、もしくはその原因を理解できる。私がここで何を伝えようとしているのか分かるだろうか?
それは全て怒りに帰するのだ。我々の中にある何かが、自然の法則が抑圧されると、激しい怒りに包まれる。原始脳は古い形式や自然な形式を覚えている。父権制社会の現実における山羊座のアーキタイプから見て、これが、占星術の本で「山羊座は仕切り屋とされている」と書かれている理由だ。そしてまたこれが、話の主題に戻ると、この講義を「山羊座、ダークエロス、カオス」と名付けた所以だ。全ての山羊座のアーキタイプ──全てをコントロールし、制限し、定義付けるという表向きの必要性──を超えた最も深いところに、コントロールを失わねばならないという絶対的な必要性があるのだ。
これは、典型的な占星術の本に書かれている山羊座の性質ではない。しかし、山羊座には最も深い部分において全てを失わねばならないという必要性があるのだ。そして、その必要性の結果、心理的カオスにアクセスし、父権制社会の現実においてのみ、それは真実となる。コントロールを失わねばならないというカオス同然の状態を必要とすることは、自然の法則を抑圧することの反映であり、またその抑圧が原因で生まれるのだ(注釈4)
トマス・ムーアという名前の素晴らしい精神科医について聞いたことがあるだろう。ほとんどが恐らく彼の著書『魂のケア』(原題では『Care of the Soul』)しか知らないと思うが、彼がその前に書いた本について少し触れよう。その本はここで私が実際に言わんとしていることを説明している。『魂のケア』は、中産階級とコンセンサス段階の現実を生きているタイプの人々にとっては素晴らしい本だ。またもちろん、その必要性からその本は大成功を収めた。だが、八千部ほどしか発行されていない彼の最初の本について聞いたことがある人は、この中に何人いるだろうか。それは『ダークエロス』と呼ばれ、副題は『サディズムの想像』だ。(原題では『Dark Eros: The Imagination of Sadism』)一体なぜこの本は百万部発行されていないのだろう?同じ作家が、二作目より二年前に書いている。
生徒:ダークエロス!
ジェフ:『ダークエロス:サディズムの想像』 トマス・ムーア著だ。しかし、それでもって彼はS Mを提唱してはいない。それはこの本の要点ではない(会場、笑う)。
ちなみに、トマス・ムーアは占星術にとても共感的だ。実際、彼の最初の本『ダークエロス』においてさえ、占星術の象徴が使われている。彼が語っているのは、今日私が共有していることだ。父権制社会の現実の抑圧的な性質、及びそれら現実から生まれる様々な種類の宗教は、全ての「現代病」の原因因子だという。神経症、精神病、統合失調症、連続殺人犯、児童強姦犯といった病だ。ここでのポイントは、原始脳は自然の性的法則を反映するということだ。またこれら自然の法則を社会的条件付けにより抑圧すると、歪みと怒りを生じるということだ。さらに、それらは非常に恐ろしい形で現れる。残念なことに我々はそれを見慣れてしまっている。
この本で彼が促しているのは、健康な人だけでなく健康な社会を作るには、自然の法則の状態に帰する必要があるという考えだ。 例えば、性的幻想の問題を考えてみよう。あなたが自然の法則に則って暮らしていたら、性的幻想は存在しない。幻想は抑圧の反映であり、抑圧により引き起こされるのだ。自然なものが抑圧されると、それは幻想として現れる。ポルノ業界全体はこうやって説明がつく。
私がここで言わんとすることが分かるだろうか? トマス・ムーアは、この抑圧を取り除こうと論じているのだ。各人に自身の性的幻想の性質を正直に観察するようお願いしているのだ。この幻想の本質こそ、その個人の内部で抑圧されているものの象徴となる。それは、無傷で完全で健康であるには、実際何がなされる必要があるのかを指し示している。
父権制社会の観点からすると、それは「不道徳」に見える。それが、山羊座がダークエロスやカオスと関係している理由だ。自身の制御を失うということは、その信念体系では間違っていると見なされる。
これに関して質問は? コメントは? では、私から質問させてほしい。この中で何人が、 ダークエロスとカオスという意味で山羊座について考えたことがあるだろうか?ある?おめでとう。
これを歴史的観点から見始めると、信じられないほど魅力的な題材になる。例えば、皆は聖書を通して知っていると思うが、性欲を種の繁殖のみに使うことが、唯一の正しい性的表現とされている。あなたが少しでも楽しみを見出していたら、なんてことだ、有罪だ。
では、ある考えを取り上げ実証してみよう。どれだけ馬鹿げているかをお見せできると思う。
この国には1890年代に、あるキリスト教の宗派があった。カルヴァン主義の一派だ。その小さなコミュニティで許可された彼ら独自の性行為のやり方があった。ここに壁があり、男性はこちら側に、女性はあちら側に、そして壁には小さな穴があり…壁の穴を介して(会場、笑う)これが彼らの性交の方法であり、もちろんそれは種の繁殖のみが目的だった。 歴史的に正確だ。つまり…(会場、笑う)え?あなたが選択したやり方とは違うって?
生徒:私はただ、どうやって女性が壁に向けばいいのかを想像しようとしています…(一同、笑う)
ジェフ:つまりここでのポイントは、歴史はこのようなもので溢れており、歴史本を読むと驚愕するだろうということだ。だが、もし、その原型的な根拠を理解すれば、意味は絶対的につながってくる。これらの考えを理解すれば、なぜ多くの「司祭」が逮捕されるのか理解できるようになる。罪状はある程度の性的虐待、そう、主に子供達に対してだ。関連性 が分かるだろうか? 私には約二万人のクライアントがおり、あなたがたが想像可能なあらゆる話について聞いたことがある。さらに難しいのは司祭だ。占星術家に会いに来る司祭だ。想像してみてほしい。聖職者用のホワイトカラー(白襟)を付けた司祭を(会場、笑う)。ん?何かな?(注釈5)
生徒:変わった人々がたくさんあなたに会いに来ていますね。
ジェフ:ああ。なぜ私が引退したいのか、不思議に思うだろう(会場、笑う)。いやこの司祭に関しては本当に悲しかった。まずこの男がカウンセリングオフィスに入ってくるのを見た私のショックを想像できるだろうか。とにかく、彼は腰を下ろし私の目さえ見なかった。彼は頭をかがめて中に入ってきた。どうやら彼は教区の人々から私のことを聞いていたようだ。私が本当に中立的であり、その理由は私が相手をありのまま受け入れるからだと聞いていたらしい。なぜ誰かの批判をする?真の自分に忠実であること以外に。
とにかく彼は座り、私に告白した。一方では伝統的なカトリック司祭の生活を送り、司祭としてやることをやる。しかしもう一方で、彼には、彼の言葉を借りれば「絶対的な衝動」、ポルノに強い関心が湧くということがあったのだ。ポルノ劇場やセックスクラブを訪れる、または雑誌やその他諸々だ。さらに上をいって、彼は取り憑かれたように自慰行為をする人だった。これは司祭にとってもちろん大変な御法度だ。彼は禁欲主義であるべきだからだ。
もちろん、彼はかなりの心理的な絶望状態にあった。あまりに絶望していて何も理解できなかった。なぜなら彼の宗教の神に対する姿勢は信じられないほど誠実だったからだ。それは問題ではなかった。彼は自分の役割に本当に熱心だった。そして実際、司祭として素晴らしい仕事をしており、孤児らの保護施設を設立した。彼は街でとても有名だった。司祭として素晴らしい仕事をしていたが、私生活ではこれとは全く異なる現実があり、どうしても彼はそれを上手く理解することができなかった。彼はあらゆる方法で魂の探求を行い、これ、この悪、この悪魔といったキリスト教用語で言い表し得るあらゆる悪を自分から取り除くように神に求めた。彼は本当に絶望していた。もう少しで自殺するところだった。
そして、我々は長い時間、話をした。私はチャート鑑定さえもうどうでもよくなっていた。ただただ座って彼と話していた。最高の仕事は、実はこんな風にしてできることもある。そして今こうやって皆に話すように彼と話していた。物事の歴史的な基礎を互いにただ共有しながら。ありがたくも彼は本気で聞き入れようという意識を持ってくれていたので、私は彼になぜこれが起きているのかを示した:自然であるものが抑圧されると、それは圧縮され、歪曲され、怒りに満ち、そしてそれがどのようにして彼の強いポルノ中毒の原因因子になったのかを示したのだ。それは、その歪んだ信念体系の環境内で、彼が自分の仕事に込めた魂の強さに正比例していた。
そこで私は言った。「自分をありのまま受け入れてみてはいかがですか?そして、これら自然の法則を理解してください。そして、神は、あなたの性欲の起源でもあるのですからね」とね。
一旦「神は、性欲の起源です」と言ったら、あとはただ閃きが続いた。そしてこの男性は自分自身を統合することができた。文字通り、それは本当に聖なる瞬間だった。
生徒:その統合が起きたとき、彼は禁欲しているはずで、性欲を満たすはずのない背景で生活していました。ついに性欲を私的に統合できると分かった上で、彼はその生活背景を続けたのでしょうか?
ジェフ:そうだ。
生徒:では彼は聖職者の立場を維持できただけでなく、自身に性欲も許した…
ジェフ:そうだ、彼は内面と向き合う姿勢をを変えたのだから。彼は理解したのだ。
生徒:しかし、それでもまだ禁欲し続け、だが性欲も…
ジェフ:ああ、もちろん彼の性欲がなくなったわけではなかった。だが、性欲とは違うところで、彼の人生に対する方針が変わった。
生徒:彼はポルノを止めましたか…?
ジェフ:止めた。自分を恥じることなく、また性欲やポルノへの関心を止める方法としてその恥を使おうとせず、新しい方針でね。そして彼はそれを彼の宗教に対する彼自身の内的抑圧の表現として理解した。分かるだろうか?
これら全てのポイントは、この種の条件付けパターンの影響を皆受けているということだ。信じてほしい、カウンセリングをたくさんすると、あらゆる種類の話を聞くことになる。私個人にとってさらに重要な仕事は、人々がシンプルに自分を認められるようにすることだ。しかし、そのように仕事をするには、条件付きの判断をいったん保留しなければならない。
例えば、カウンセリングオフィスにやって来る女性のどれだけが、複数人の男性グループと同時にセックスする性的幻想を抱えているかを知ったら、大半の人はショックを受けるだろう。条件付きの意識がある人々は、そのようなことを聞いてショックを受けるはずだ。もしあなたが、自身の条件付けられた反応によりショックを受け、ただ座っているとしたら、クライアントを助けることができるだろうか?
本当に、真に役に立つカウンセラーになるには、歴史的な認識がある方がいい。こういったことの発端を理解するためだ。そして、そのような歴史的根拠をクライアントと共有すれば、それがどのくらいクライアント自身の状況理解に役立つか、分かるだろう。 ここでの現実とは、父権制社会の現実で暮らしているほとんどの人に性的幻想があるということだ。
生徒:自然の法則の抑圧を取り除いたとしても、どうもさらに高次の現実があるように思えます。欲しいもの全てをどうしても手に入れることができないという現実です。つまり、ある女性に男性の集団と寝る幻想があるとして、それがすんなりと叶うということでしょうか?
ジェフ:自然の法則内で生活すれば、男性の集団とセックスを望む女性は単にそうするだろう。したがって、そのような幻想の必要性はなくなる。
ここに山羊座にまつわる大きな問いがある。もし、社会的な判断を恐れながらも性的衝動に基づいて行動する自由を自分に与えたら、これは自分自身についての何を意味するだろうか?いったんカオスを受け入れたら、自分自身についての何が分かるだろう?そこで分かるものが、山羊座の運用的な心理学、つまり否定的な判断に対する恐れだ。条件付けに基づいて自分の内部に生じた、否定的な判断への恐れだ。
したがって山羊座が内面でそう感じることができたら、それは次の質問を浮かび上がらせる。私にとってこの恐れは何を意味するのか?と。この問いに文化的な条件付けをベースとした答えを出すならば、大抵はその衝動への抑圧を引き起こし、あらゆる歪みが後に続くことになる。
判断する行為は山羊座アーキタイプの役割だ。そしてそれは自然な意識の一部だ。それは我々が学ぶ方法だ。問題は判断そのものではない。問題は、我々が判断を下すために利用している内容または基盤だ。では、その内容は自然の法則の反映だろうか?それとも、その内容は父権制社会の条件付けパターンの反映だろうか?
自分の体が喜びを感じるから自分の体に怒っているというような山羊座の人もいる。自分の体が喜びを感じるという理由で自分自身の体に腹を立てる仕組みがどんなものか分かるだろうか。なんと馬鹿げたことか! ほとんどの人は直感的にその狂気を理解する。だが、そんな風に感じるような激しい山羊座アーキタイプを抱えている人は何人いるだろう?
今日私がここで共有したかったのは、これら核となる山羊座についての要点、そして自然の法則に対する条件付き法則の性質について、またこの二つの矛盾のせいで何が起こるのかについてだ。これらの単純な事実が、現在の父権制社会における戦争、暴力、虐待、サディズム、マゾヒズムの原因と関係していることが分かる。紀元前6500年頃までは、これは歴史的に正確だが、戦争や暴力が人間の間で行われたことを証明する資料はどこにもない。ないのだ。
生徒:それはいつですか?
ジェフ:紀元前6500年頃 より前の古代、女性が様々な男性に身をさらした理由の一つは、彼らが「血を混ぜる」と呼んでいたものだ。女性が、この男性、あの男性、そしてこの男性と身をさらした場合、その女性は、これらの男性は互いに暴力を振るわないだろうと考える。これが、女性が社会秩序の安定性を維持するために使用した方法の一つだ。これは男性が我々に望む考え方とは完全に異なるが、歴史的には正確だ。疑うなら、歴史資料を読んでほしい。ニッキー・ロバーツによる『歴史における娼婦』(原題では『Whores in History: Prostitution in Western Society』)、またはリアーン・アイスラーによる『聖なる喜び』(原題では『Sacred Pleasure: Sex, Myth, and the Politics of the Body』)から始めてみてもよいだろう。 自然の法則の抑圧は、残念ながら今日の父権制社会において我々全員が経験する怒りと暴力の原因因子となっている。
現在、我々は水瓶座の時代が始まる前の500年の歴史をたどっている。驚くべきことに、25000年前の前回の水瓶座の時代は、我々が今や母権制社会と呼んでいるものの結実であり、繰り返すが、母権制社会とは自然の法則をただ言い換えたものにすぎない。我々がこの新しい水瓶座の時代に向けて進むにつれ、我々の地球には本質的な変化が生じるだろう。状況に応じて、人間が生存本能に注意を払い、自然の法則に対する姿勢を変える必要があるだろう。
全てを説明する時間はないが、この話題と惑星ノードとの驚くべき関連性についてコメントして、この講演を終了しよう。今世紀の全ての人は、水瓶座のおよそ9〜10度に、海王星のサウスノード、つまり原点となるカルマの精神のルーツを持っている。ちなみに、外惑星の惑星ノードは非常にゆっくりと移動するため、我々の出生時の外惑星のノードは誰のものも互いにとても近くに位置している。
今世紀の誰もが同じ星座に三つの惑星ノードを持っている。木星のサウスノード、つまり信念体系(注釈6)。そして土星、意識の構造を意味する。そして冥王星は、この場合は集団の魂を意味する。これらのサウスノードは何座にある?山羊座だ。自然の法則を背にした過程におけるカルマのルーツを真っ直ぐに指している。今、地球上でこの集団は何をしている? ここで解放するカルマは何だろう? 考えてみてほしい。
ご清聴ありがとう。
● 注釈1
春分点が位置する星座がメイン、その対極の星座がサブとなって、時代の様子を象徴しているという見方。例えば「水瓶座の時代(アクエリアン・エイジ)」なら、獅子座サブエイジである。(注釈1の文章に戻る)
● 注釈2
2021年現在では、タツノオトシゴは雌が雄の腹部にある育児嚢に卵を産み、そこで受精を行うため、雌だけでも雄だけでも繁殖はできないと考えられている。(注釈2の文章に戻る)
● 注釈3
タントラはインドで生まれた聖典。ヒンドゥー教、仏教、密教、ジャイナ教などの教義に影響を与えながら他国にも伝わったが、西洋に伝わった際に異なる解釈もなされるようになったという。(注釈3の文章に戻る)
●注釈4
父権制社会によって自然の法則を抑圧したことが原因で生まれたコントロールや制御であるため、自然の法則に基づいて生きるにはコントロールすることをやめる必要がある。コントロールすることで得られていた心の安定を諦め、混乱(カオス)を受け入れる必要もある。健全に暮らすにはこのように山羊座の奥深くまで浸透した不自然な制御を終わらせることが必須だ、という意味。(注釈4の文章に戻る)
●注釈5
聖職者用のホワイトカラー(白襟)は、聖職者が神の言葉や真理を伝える公的な立場であることを象徴する。社会にとって一般的とは言えない占星術家のもとへ神聖で公的な立場の司祭が訪れるのは、本来の様子とは立場が逆であるため、その状況の異様さを語っている。(注釈5の文章に戻る)
●注釈6
ジェフは木星サウスノードについて「20世紀に生きる誰もが出生時の木星サウスノードを山羊座に持っている」(20世紀ずっと木星サウスノードは山羊座にある)という趣旨のことを述べているが、惑星ノード軸計算サイト(http://www.true-node.com/eph1/ )からの調べでは、木星サウスノードは順行逆行を繰り返しながら順行の方向に動いており、少なくとも1世紀以降は射手座と山羊座を往復しながら徐々に山羊座に移行中である。21世紀後半に完全に山羊座に移行すると見られる。
訳:ベッソンちづる(Chizuru Besson)
校正:相原あすか
監訳:佐々木りさ