進化占星術の真髄〜魂〜

ここでは、School of Evolutionary Astrologyにおいて“The Essence of Evolutionary Astrology”として紹介されている、進化占星術の核となる哲学・考え方をご紹介いたします。
また、記載文の多くは、『魂の設計図』にも含まれていますので、併せて参照していただければ幸いです。

〜進化占星術の真髄〜目次
1)進化について
2)魂 ←今回はこの記事
3)エゴ
4)魂の進化段階 
5)未進化段階
6)コンセンサス段階
7)個性化段階
8)スピリチュアル段階

このシリーズはSchool of Evolutionary Astrologyのサイト上など一般に公開されている英語記事を翻訳し、ご紹介するものです。引用・転載は、出典を明記の上、お願いいたします。

2)魂

 「魂」という言葉は、恐らく世界中のどの言語においても存在するだろう。

 では一体、魂とは何なのか。脳の中を開けてみて、見付けられるものだろうか。明らかにそれは不可能である。しかし、だからといって存在しないということにはならない。

 我々は体を開けてみて、感情というものを見付けられるわけでもないだろうが、感情というものが存在することは誰もが分かっている。同じように我々は脳を開けて思考というものを見付けられるわけではないが、我々の頭の中には常にいくつかの思考が存在していることも分かっているだろう。では、体を開けてみて、悲しみ、鬱、幸福感、愛などを見付けることはできるだろうか。

 それも答えはノーだ。しかし、それらが全て存在することは、皆分かっている。そう、これはエネルギーの性質についての議論なのだ。魂のエネルギーというのは、意識のエネルギーと似たようなものであるが、脳の中を開けてみたところで意識というものを発見することもできるわけではない。意識というものは、科学者たちにとってもいまだ多くの謎を残しており、誰もまだ意識がどこからやってくるのか、どうやって作られるのかをきちんと説明できないのである。

 この意識というものは、占星術上では海王星に関連付けられる。これこそが宗教や哲学と呼ばれるものが始まった源だろう。つまり、人間というものは、知る欲求を持っているゆえに、我々がどこからやってきて、それは一体なぜなのかを熟慮熟考する必要があるのだ。そしてこの、人間の人生の起源に対する熟考いうものが、「信仰」というものを創り出したともいえるだろう。

 では、「信じる」ことと、実際に「知る」ことに違いはあるのだろうか。宇宙的な大きな質問の答えを「知る」ことと、その答えを「信じる」ということの違いを知る術はあるのだろうか。幸運なことにそれはある。例えば、宇宙に様々なものが存在していることは、それらを創造する力というものが始めに存在していた、ということを知ることになるだろう。我々が存在している、ということ自体にも、なにか始めに創造の力が関わっていたに違いない、という論理に導いてくれる。我々はその力を、万物の創造主、または、創造の源、と呼び、宗教上ではそれを神とか女神とか呼ぶ。そこに「知る」ことと「信じる」ことの違いが見えてくるのではないだろうか。

 意識というものも、もちろん創造の源によって具現化されたものであり、それは存在し、創造の源もそれを認識できているはずだ。集合意識というものも、この創造の源から生じたものである。

 我々は全ての生き物に意識があるということは知っている。そして、これら全ての生き物は、見た目には一つずつ別のものであったとしても、同時に別の生き物と結び付きを持っているということにも多くの読者は頷いてくれるだろう。まず、隣り合った植物は、植物同士というつながりを持っている。意識は個性化されるという側面がある一方で、宇宙的で集合的な意識という側面もあり、個性化された意識がそれによって束ねられているのである。

ー波と海ー

 これは、「波と海」の話にも例えることができる。多くの人が、波の発生源は海であるということに同意してくれるだろう。しかし、波の視点から見てみると、波自身、つまり個性化された意識というものが、その源である海に寄せ集められるのだとすると、波は現れては分離するかのように見える。一方で波という意識の重心が波の中に存在するのだとすると、波の一つひとつは、その集合体から離れ、海から分離したものを経験しているように捉えられるだろう。また、もし意識の重心が海の中に存在するのだとすると、意識は海という集合体と同時に、個別に作り出した波を経験すると捉えられるだろう。

 これと同じように、宇宙的な意識がそれぞれの意識を創り出している源であり、同時にそのそれぞれの意識が全体を構成しているのだといえよう。それにはもちろん、人間とその中に存在する意識も含まれる。そして、その人間の意識には、それぞれが個性化していく要素が含まれている。これは、人の人生や生活が、その源とは異なるそれぞれの独自性を持って個別の形を持つのに加え、それを種として更に枝分かれしていくように多様性が生まれていくからで、それは海とも波とも等しいものだからだ。

 この一つの人生に結び付いている、個性化した意識のことを「魂」と呼ぶことができる。よって、魂とは、不変の意識、もしくはエネルギーであって、元々それを創造した宇宙的な意識の一部である。ここでいう「不変」とは、壊すことができない、という意味である。エネルギーというものは決して破壊はされず、形を変えることのみ可能だからだ。しかも、進化を遂げるために。

 では、魂はどのように、つまり、魂は自らの内に備わっているどんな力学によって進化を進めていくのだろうか。どんな人間の魂にも二つの相反する欲求が存在する。この欲求こそが魂の進化の決定要因だ。

この二つの欲求とは、一つが我々の起源、つまり創造の源に還ることであり、もう一つは、その源から分離していくことである。

 この魂の内に存在するシンプルな力学は、自然法則の下にある自由意志が働くところでもあることは想像に容易いだろう。魂の進化は、「全てなるものの源」に戻るというただ一つの欲求のみを残し、その他の分離的欲求を段階的に排除していくことで起きる。これは宗教や他の信念体系を必要とすることなく、シンプルな真実、自然の法則であり、自身の人生経験を通じて誰もが確認できることである。

もう少し具体的に話すならば、新しい恋人や新しい車、地位が欲しい、といった我々が自分の外側に意識を向けるような、つまり、分離的な欲求や願望を持っていたとしよう。そして、その欲求を叶えたり、具現化する能力も我々は持っていて、欲求を叶えたときには満足感を得るはずである。しかし、大抵の場合、それらの満足感は過ぎ去り、すぐに別の欲求によって置き換えられてしまうのではないだろうか。

この不満足感、もっと何かが欲しいという感覚こそ、究極の欲求である「全てなるものの源」に戻るという欲求を呼び起こすものであり、究極の満足感をもたらしてくれる唯一の欲求なのだ。そして、我々は皆、この普遍的な経験を持っている。

それでは、一体どうすれば信念体系に拠ることなく、究極の、創造の源というものが存在することを知ることができるだろうか?

 我々は宗教が作られるずっと以前から、この創造の源というものが存在することを自分の内側の探求によって知っていたはずである。この内側での探求は、例えば呼吸をしているときに自分の内側を見る──呼吸をしている間にまるで呼吸が止まるかのように息が浅くなり、意識の中に光を見るような──状態で起きるともいえるだろう。これは呼吸が浅くなったり止まったりしたときの自然な機能として起きることである。これが、後世では、「第三の眼」と呼ばれるようになった。

 そして、この光こそが、全ての創造の源である宇宙的な意識がそれぞれ個別の魂に反映されている象徴であり、また、その宇宙的意識とのつながりなのである。

 人間はまた、遥か昔に自分の意識、もしくは魂をこの光と融合させることで、自分の意識を宇宙的な意識につなげ、創造の源を意識的に経験する、という術を学んでいる。それが、波が海に還る、ということなのだ。

 つまり、ここで言いたいことは、我々人間は、誰もが自分の体験を通して自然の法則を知り、また立証することができ、特別な信仰などは必要ないということだ。これを体験してみるには、徐々に息を浅くしていくことで、息が静止状態になるようにすることだ。やり方が分からない場合は、次のような方法を試してみると分かるだろう。(注1)

 まず、息を吸うときに「1」と頭で数える。次に、息を吐くときには「2」と数える。秘訣は、意識を最大限に集中させ、数字の「1」か「2」だけにおくことである。

 これは、意識の集中が欲求によって高められ、呼吸が浅くなり、自然と呼吸が静止した状態が作られるという行為である。もう一度言うが、意識というのはエネルギーであって、破壊することができない。誰もが何かに没頭したときに呼吸を忘れてしまうような経験をしたことがあるだろう。つまり、息を止めたからといって、我々がすぐに死ななければいけないわけではない。意識というものは、人間の形に依存しないものであり、人間の形の現れである呼吸が静かになると、意識に備わっている内なる光が現れてくるのである。そして、意識をこの光に委ねることで、宇宙的な意識の現れである、光の中へと融合していく感覚が起きるだろう。これは、本来誰にでもできることなのである。

ー呼吸に関する自然の法則ー

 これは、呼吸に関する自然の法則であり、呼吸が静かになると、多くの歴史上の偉大な師たちやイエス・キリストが言ったように、「あなたの目が澄んで一つであれば、あなたの全身は光で満たされる」のである。象徴的に、二つの目というのは、吸うと吐くという呼吸の二つの動きと捉えられるだろう。この二つの動きが、我々の意識を二極性、二元性、つまり人生に関わらせ、巻き込ませているのだ。好きと嫌い、幸せと悲しみ、愛と憎しみなどの二元性は自然の法則に結び付いており、それを象徴している。数字の「1」と「2」はまた、自然法則の有限性と二元性、つまり原因と結果の法則にも関わっている。しかし、「1」と「2」の間にはインターバル、もしくは「0」が存在し、それこそが、宇宙的意識や無限性に結び付いているのだ。

 よって、息が極度に浅くなったり、静止状態になったときに、この「1」と「2」の間に存在するものと同じ、宇宙的意識とつながるインターバルが受け取れるのだ。「第三の目」もしくは、キリストが言った「澄んだ一つの目」とは、意識の中にそもそも存在しているものであって、我々誰もがそこにアクセスし、自分の魂とも一体化させることができる。そこにアクセスした状態では、二元性は息を潜め、真の充足感が得られるのだ。ここで占星術では、冥王星が魂を表していることをもう一度思い出してほしい。

 この自然法則の観点からいうと、代数や三角法、量子物理学などの高等数学分野の学問は、3世紀頃のインドで生まれた「0」という発想がなければ発達しなかっただろう。それ以降、インドを起源としてこの「0」が数学に用いられた。もっとも、これはインドの宇宙論における創造の源に対する理解から自然発生したものといってもよいだろう。つまり、無の状態、「0」から何かが生まれること、実現と未実現、いわゆる「空」の状態、そういったものに対する理解からだ。

(注1)この呼吸法はEA-JAPANで推奨しているものではありません。特殊な呼吸法を試される場合は知識・経験のある指導者の下で行うようにして下さい。

School of Evolutionary Astrology元記事はこちら

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